− 第三章 −


現代以前の昔の香料は、殆ど自然に産したままのものを使い2,3の動物性香料以外はすべて植物性であった。
香気の保存は密閉した容器に収め、あるいは暗いところに保存するなどであるが、月日が経過すればどうしてもにおいは発散してなくなりやすい。
だから比較的ににおいの発散しない、空気中の常温ではにおいの発散度が低く、熱を加えて焚いてよくにおいを出す沈香や乳香などの樹脂系香料を主として使用した。
すなわち焚香料が香料の使用の主体である。
しかし焚いてにおいを聞き知ることは、たとえ隔火をもちいて香木の焚方に特殊の工夫をこらしたといっても、
やはり香木の煙と共ににおいを聞くのであるから、不完全であるにはやむを得ない、そしてにおいを楽しむ時間は限定される。
たとえ線香などでいくら長くにおいを嗅ぐことが出来ても、その媒体である樹木の皮や葉のにおいはつきまとう。
煙のたたない、加熱など必要のないもっと便利にそして長時間、いつでもどこでもにおいを楽しむ事の出来るものが出現すると、焚香料はそのようなものにかわらざるを得なくなるだろう。
樹脂系の香木を中心とする焚香料は、それ自体の性状の中に必然的に自己本来の限界点をもっている、
近世に出現したヨーロッパの精油は、植物の香気分かを捕集した揮発油である。
熱帯アジアのある限られた地方にだけか産出しなかった昔の植物性香料にくらべて、大量にそしてより安く生産できる。
香気の保存と使用の点も、昔の焚香料の欠点と必然的な限界点を補い、焚香料にとって代わって香料の主体となるにいたる。
 それから化粧料のにおいとしての香りについて見る。黄色系の人種は白色、黒色の人種に比べて、確かに体臭は少ない。
化粧料の必要性は体臭との関係にあるが、中国や日本では昔から化粧を使っていても、香料を賦香することはおくれている、
日本ではようやく江戸時代の中期以降である。そしてこれもほんの2,3にすぎない。なぜだろう。
沐浴の風習にもよるだろうが、飲食物からしょうじる体臭である。また風土的な影響もたぶんある。
しかし化粧料に賦香したこう料は天然の植物性のもの、沈香、丁子、白檀、龍脳などが主でそれに動物性である。
これらを植物性の油と脂肪に混ぜ焚きつめている油脂本来のくささはさけられない。いや油脂と香慰労のにおいが一体となっている。
完全なものではない。ヨーロッパのように油脂の選択に留意し、また草や花の香気高いものを賦香するのとは全く違う。
これが近世以後の精油になると、油脂にたいする浸透力は天然の香料そのまま、たとえば香木や樹脂そして乾燥した花や種子などよりもはるかに優れている。
このように化粧料の賦香料としての昔の香料には、焚香料と同じように限界点がある。
 また中世から近世にかけて人間としての自覚の成立は、心的なもの、宗教的なものからのベールをぬがした。
たとえ焚香料が仏教の儀礼をはなれて、趣味のにおいとして楽しまれたたといっても一縄の香煙とともに仏教的な雰囲気は以前としてある。
いや、多くの民衆は香りの煙と言えば、殆ど仏前の香りであるとさえ考えている。沈香木を中心とする匂いの生活が依然として長く営まれたのは、このようなためだろう。
 匂い自体を自然の中に溶け込んだ姿、あるいは自然環境を通じて匂いを知り聞こうする考え方は、香と人間の対立意識に立って、この対立を人間性の本来によって克服しようとする考え方は生まれないだろう。
香についての知識と経験を積み重ねる以外には何も見出せないだろう。沈香木を使用する技術と方法は、沈香木それ自体の性状から、あるいは一つの限界点以上には出る事を許されない。
だから、折角16,17世紀に五味六味という方法を考え出しても、日本元来の考え方に戻らざるを得ない。
ここに向かいの日本人が見出したところの匂いがある。