− 第一章 −
そもそも、香料とは何なのであろうか。『日本国語大辞典』によると、
よい香りを発散するもの。多く、食品や化粧品などに入れてよいにおいをつけるため
に使う。
ジャスミン、肉桂麝香(ジャコウ)など。
と書かれている。又、『大日本百科事典』には、
香水や食品などに芳香をあたえるために添加されるかおりの強い有機物質を言う。
と書かれている。
「良い香りを発散するもの」や「かおりの強い有機物質」なら、
日本にも幾つか存在する。樟、杉、檜などがそれに当てはまる。しかし一般的な解釈
から言うと、これらは香料には分類されない。なぜなら、香料と呼ぶには幾分香りが微弱で、
余韻に欠けるからだ。したがって、古く日本で香料を使ったとすれば、
それはもっぱら海外から輸入したものだ。
昔の香料について見ると、近世以前は殆ど中国から、近世に入って原産地から輸入し始めた。
その香料は、南シナ・東南アジア・インド・西南アジア(ペルシア・アラビア)
などの熱帯アジアに産した植物性のものが大半で、動物性のものは、わずか3種類だけだった。
では、いつの頃から日本に香料が伝わってきたのだろうか。正確にはまだ解っておらず
幾つかの説がある。その中で一番有力視されているのが、『日本書紀』に記されている。
3年の夏卯月に、沈水、淡路嶋に漂着れり。其の大きさ一圍。嶋人、沈水といふこと知らずして、
薪に交えて竈に焼く。其の烟氣、遠く薫る。則ち異なりとして獻る。
さらに、『水鏡』にも書かれている。
3年と申しし春、沈香始めてこの國に渡れり。浪に浮び風の被服に隨ひて来れりしが、
土佐國の南海に、夜毎に大きなる光物ありき。その聲雷の如し。三十日を経て
四月に淡路島の南の岸に寄り来れりき。大きさ人の抱く程にて、長さ八尺餘ばかりなむ侍りし。
その香しきこと譬へむ方なくめでたかりけり。是をみかどに奉りぬ。島人
なんにともしらずして。多く薪になむしけるとかや。これを太子見給ひて「沈水香と
いう物なり。この木を栴檀香といふ。南天竺の南の海の岸に生ひたり。
この木の冷かなるによりて、夏になりぬれば、もろもろの蛇など纏ひつけり。
その時に人かの所に往き向ひて、この木に矢を射つけておき、冬になりて
蛇穴にこもりて後、射立てし矢をしるしにて之をとるなり。その巣をば
鶏舌香といひ、その花を丁子といふ。そのやにをば薫陸香というなり。
久しくなりたるを沈水といひ、久しからぬを淺香といふ。
みかど佛法をあがめ給ふがゆえに、 梵威徳の浮かべおくり給へるなるべし」
と申し給き。帝この木にて観音をつくりて比蘇寺になむ置き奉り給ひしに時々
光を放ち給へり。
『日本書紀』『水鏡』共に、推古天皇3年。西暦で、595年に淡路島の海岸に沈香木
が漂着したのが日本に香料が伝わった最初であることを記している。
では、前に述べたように偶然の出来事ではなく、「香料」としはいつ頃日本に入ってきた
のかというと、これも正確にはまだ解っていないのだが、少なくとも、6世紀の末には
仏教儀礼の焼香供養として、日本に伝来している。『日本書紀』によって7世紀の
香料使用に関する数少ない記事を拾ってみることにする。
一、 642年(皇極天皇、元年7月)、多数の僧侶に大雲経を読誦させた時蘇我大臣
は、手に香炉を取り、香を焼いて礼拝した。
一、 669年(天智天皇、8年)、天皇は藤原内大臣の家に行幸して
金の香炉を下賜した。
一、 671年(天智天皇、10年)。人口・栴檀香その他の財宝を法興寺に献上する
一、 同じ年、大友皇子は手に香炉を取って、蘇我赤兄臣、中臣金連その他数人と
盟約を結んだ。
一、698年(持統天皇、朱鳥3年)、陸奥の僧侶に仏像・仏具・香炉を与える。
このことから、仏教儀礼に欠くことの出来ない焼香供養を中心にして香が使用されていたのが解る。
ここで、軽く焼香の原料について触れておこうと思う。
原料は、沈香、白檀、丁子、鬱金、龍脳などの5種類の香料が主に使われ、
樒や檜の葉を乾燥させ粉末状にしたものを加えたものを使う。
この他にも仏教では、身体に塗って清めるための塗香、呼気を爽やかにする含香、
真言密教で儀式用に使う香水などがある。