中国の出版文化
  ――明・万暦期を一例に――
《本文》
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 まず本題に入ります前に、ひとつお断りとお願いをしておきたいと思います。実は私、十年ほど前、脳内出血で倒れまして、 それ以来左半身が麻痺した状態にあります。そのせいで言葉の方もうまく発音できません。皆さんには随分聞き取りにくいだろうと思われます。 そこで今回お話する内容をそのままプリントしてまいりましたので、是非それを御覧になりながらお聞きいただきますようにお願いいたします。
 さて本題ですが、本日は『列仙全伝』という書物を中心に、中国の出版文化の一面についてお話しさせていただこうと思います。
 この『列仙全伝』という本は、そのタイトルからもわかりますように、中国の仙人の伝記を集めたものであります。 仏教・儒 教に道教を加えて三教という言い方がございますが、その道教の究極の理想像が仙人という存在でございまして、中国では古くから、この仙人の伝記集というものが 作られてきております。資料篇のプリントの方を御覧いただきますと、(資料@)歴代の代表的な仙人伝――いわゆる仙伝集が一覧にしてあります。漢の劉向という人の撰しました・・・と言っても、 実は後世の偽作と考えられているのですが、 それでも4〜5世紀頃には成立していたと思われる『列仙伝』という書物を嚆矢として、その後も『神仙伝』・『続仙伝』と 多くの仙人伝が作られてまいります。当然時代を歴るごとに立伝されている仙人の数も増えてまいりますし、同じ仙人の伝記でも、読み比べて見ますと、内容がどんどん増えていく わけです。いろいろエピソードや逸話などが加わりまして、言ってみれば伝説化・神格化が進むわけです。むしろだんだん荒唐無稽になって伝記集というより小説に近いものになっていきます。
 そして、こうした仙人伝の集大成として作られたのが、最後に名前のあります元の時代につくられた『歴世神仙体道通鑑』という書物であります。 この本には九百名もの仙人の伝記が収められておりまして、この本を見れば、まあたいていの仙人のことはわかるようになっているわけであります。
 ところが、この書物ができまして300年ほど後の明代、日本で言いますと、江戸時代の初め頃に、五百数十名の仙人伝を集めた『列仙全伝』という本が出版されます。 この書物がどうやら相当に当時の出版界に影響を与えたようで、早くも50年後には日本でも和刻本が作られて、これも相当に売れたようなのです。現在でも各地の図書館に随分収蔵 されて残っておりますし、当然本学の図書館にも三部も所蔵されております。図書館だけではなく、時々古書店の目録などにも出てきますし、私も一部所蔵しているほどです。 ですから当時相当に売れたものだと思われます。
 ところが売れる――人々に支持されるということと、学問的な評価というのは往々にして一致しないことがよくあるのです。この『列仙全伝』に関しましても、 学問的評価は惨憺たるあり様でして、現在日本や中国で出版されている道教専門の辞書類でさえ、見出し項目に『列仙全伝』とありますのはごくわずかです。 先ほども申しましたように、内容が随分小説化している上に伝記資料の典拠――そのもとづいた所が明らかではないということで、ほとんど研究もなされておりません。 また、道蔵――大蔵経の道教版ですが、ほとんどの道教関係の著作が収められているこの道蔵の中にも収録されてはおりません。
 一方、ここがおもしろい所なのですが、現在出版されている日本の道教関係の書物の中では、恐らく一番利用されている書物でもあるのです。見出しの項目に名前を載せていない 辞書類なども実は頻繁に利用しているのです。どういうことかと申しますと、実はこの『列仙全伝』という書物、正確には『有象(像)列仙全伝』というのであります。 この「有象」――仙人の肖像画がついているというところに、この書物の一番の価値があり、存在意義があるのです。ですから、日本で出版されている書物にも、 伝記本文の方はめったに利用されず、絵像の方だけがやたらと引用されるのです。特に近年はヴィジュアル化とか申しまして、図版の多い書物の方が好まれる傾向にあります。 そのせいもあって、より一層利用頻度が高まるわけです。
 この『有象列仙全伝』が出版されました明代の万暦期――西暦で申しますと1600年代前半ですが、特にこの書物が出版された江南・長江の下流域一帯は、 経済の発展にともなって様々な文化が大衆化された時代でもあったわけです。 本来道教の仙人伝なども一部の士大夫文人といった教養人の手から一般民衆――市民層などと いう言い方もされますが、そういう庶民の世界へ広がっていったわけです。ただその時に文字ばかりではやはり重過ぎると考えたようなのです。この『列仙全伝』を出版した 汪雲鵬という人物は、江南の地で玩虎軒という出版社・書店を経営していた人物として知られておりまして、この『列仙全伝』以外にも実に多くの絵入り本を 売り出しているのです。もちろんその多くは小説類なのですが、また同時にこうした絵を画く版画家も随分かかえていたようで、 黄氏一族という当時一流の版画家集団を 使っていたようなのです。『列仙全伝』もこの黄氏一族の中の黄一木という人物が画いていることが資料Aを御覧いただくとおわかりいただけると思います。 この汪雲鵬という人物が現代に生きていても、相当な商売人になれたのではないかと思われるところがあります。
 さて、ここに不思議なことがひとつあります。この『列仙全伝』という書物は、そもそもいったい誰が編纂したのだろうということです。 資料のBにもあげてありますように、本そのものには、「王世貞輯」とありますし、その友人の李攀龍という人の名で序文も載っているのですが、 この二人が生きていた時代と『列仙全伝』の出版時期とは少し時代にズレがあるのです。二人とも『列仙全伝』が出版された時より三十年ほどの前の人なのです。 その上、本人達の残した文集などにも一切『列仙全伝』を編纂したなどという記録がないのです。 この二人は『明史』という歴史書の中でも「天下に王李と称せらる」と 記されるほどの、当時を代表する著名な文人でもありまして、実は日本でもよく読まれています、皆さんのご存知の『唐詩選』という書物、あの本も李攀龍が編したと 書かれています。ところが実はやっぱり仮託なのです。
 先ほども申しましたように、この時代、出版という行為は単なる文化活動から有力な経済活動のひとつに移行しているのです。 売るためには、編著者の名前を有名人、著名人に仮託するなどという行為は普通だったのです。この『列仙全伝』の場合も汪雲鵬が売らんがため仮託したのだろうと 考えられておりまして、数少ない解説記事などでもそうなっております。じゃあいったい誰が編纂したのか、序文を書いたのはいったい誰だったのか。 汪雲鵬自身なのか、あるいは誰かゴースト・ライターがいたのだろうかと思っていたのですが、あれこれ当時の仙伝類を読んでいたところ、びっくりしました。 『列仙全伝』とまったく同じ序文を持った書物があったのです。「蔵外道書」というシリーズに収められている『広列仙伝』という本、張文介という人物が編纂し、 自分で序文も書いております。 この序文が『列仙全伝』とまったく同一なのです。ちがうところは、収録した人数を記した部分とこの本を題して『●●』と云うと名づけた部分だけなのです。 収録された人数は『広列仙伝』の方が300名ほどなのに対して『列仙全伝』は500名と随分増えていますし、伝記の本文自体も増補されております。 一方、中には一字一句全く同一の伝記もあったりします。そして『広列仙伝』には、絵はまったく入っておりません。編纂した張文介という人物は、 わずかな伝記資料を残すだけのあまり高名ではなかった人物のようです。
 恐らくこの張文介の作った『広列仙伝』に手を加えて、増補して、序文の作者や編者を有名人に代え、さらに絵を付け加えて『列仙全伝』と題して汪雲鵬が出版したというのが 真相のようです。どうして彼はなかなかの商売人です。これを「悪どい」などと思ってはいけないのです。むしろこうしたことは当時わりとよくあったことなのです。
 と言いますのも、この『列仙全伝』が出版されてすぐ奇妙なことが起こります。この『列仙全伝』の中から、絵像を持つ仙人の伝記63名分だけを節録――短くして抜き出し、 さらにこれに仏伝――釈尊を初めとする羅漢や高僧達の伝記と絵を加えた『仙仏奇綜』という書物が作られるのです。この本は、洪自誠という人物が著したということに なっています。この人物もやはり日本人によく読まれた『菜根譚』という書物の著者でもあり、仏教と道教を兼修した人物ということで、 『菜根譚』研究者の手によって随分詳しく研究されておりますが、少なくとも『仙仏奇綜』の仙人伝の部分は絵も含めて、今風に言えばまったくの剽窃というか盗作なのです。 しかし先ほども申しましたように、こうしたことは中国では別にめずらしいことでも何でもないのです。まだ著作権などという概念が確立する以前のことでもありますし、 先人の著作を参考にし、流用するというのは「述べて作らず」と孔子が言って以来の中国の伝統でもあるのです。
 さらに、『仙仏奇綜』の四庫全書本から本文だけが抜き出され、それにまた別の絵像――ひどく稚拙な絵(参考として資料Cに挙げてあります。) ――をつけまして、これがなんと『列仙伝』と題されて――『列仙伝』と言いましても、一番初めに紹介した劉向の『列仙伝』とはまったく別ものです。 ――これがなんと本学の図書館に所蔵されているのです。これは作者、制作年代ともにまったく不明の、実に変わった書物です。
 こうして『広列仙伝』から『列仙全伝』が――さらにそこから『仙仏奇綜』へ、さらに『消遙虚経』・奇妙な『列仙伝』へと続く流れ、――まあ剽窃の系譜とでも言うべきものが 成立するのであります。ところが、これで終わりかというとちがうのです。
 中国を代表する絵入りの百科事典である『三才図会』という書物、この本は日本にも随分影響を与えて『和漢三才図絵』などという書物までが作られるのですが、 この『三才図絵』の人物篇に収められております仙人伝の部分が、実は『消遙虚経』とほとんど同文で、その上何故か絵の方は『仙仏奇綜』とそっくりなのです。
 こう見てきますと、『列仙全伝』が当時の出版会に与えた影響の大きさというものがおわかりいただけると思います。『列仙全伝』を中心としていくつかの書物を 紹介してきたわけですが、これらを整理してみますと、資料Dのようになります。こうした事態が明代万暦期のわずか10年ほどの間の出来事なのです。 これらの書物の作成と出版はまさに当時の「文化の大衆化」という大きな流れの中で行われたのだとも言えます。
 また大衆化のために絵像を利用するという点も大変興味深い問題だと思われます。道教にかぎらず、仏教でも同様なことは言えると思うのですが、 布教という行為の中にはこの大衆化という方向性が常に内在しておりますし、その際に絵像が利用されるということも、古今を通じてよく行われることであります。 古くは敦煌で発見された変文の例もありますし、現代でもマンガやアニメ、あるいは映画の利用などにも見られることであります。
 最後に資料のEには当時は文章だけではなく、絵像の方も再利用されている例を挙げておきましたので御覧いただければと思います。少し説明をさせていただきますと、 上の段にあります四つの絵(資料E)は今まで紹介した各書物における絵像です。例えば『列仙全伝』と『仙仏奇綜』の絵を見比べていただきますと、 李鼻涕という人物の容貌や着ております衣服なども明らかに模倣しております。ただ『列仙全伝で背景に描かれておりますのは一本の樹木と不思議な形をした岩の二つで ありますが、それが『仙仏奇綜』のほうでは一本の屈曲した樹木に置き換わっております。しかし、これもどうも本来あった樹木と岩のフォルムを合体させたも ののように思われます。次に三つ目の『三才図会』の絵像をご覧いただきますと、これはもう模倣というようなレベルを超えて『仙佛奇踪』とまったく同一だと言って 良いだろうと思います。ところが、先ほど紹介しました大谷大学図書館に所蔵されております『列仙伝』の絵像になりますと、同じように模倣はしているのでしょうが、 随分雑なものになっております。
 次に下の絵のFの二枚の絵像は『仙仏奇綜』からのものを挙げておきました。こちらのほうはまだ充分な研究は行っておりませんので、参考までに挙げておいたものですが、 釈尊と龍樹のものです。
 次にG・Hはいずれも先ほども紹介しました黄氏一族が描いたと思われる絵像であります。時代の前後関係は正確にわかっていないのですが、 ほぼ同時期に江南の地で出版されたものです。注意して見ていただくと、『列仙全伝』の中央に描かれている西王母という女性の仙人が『三教源流捜神大全』では聖母(資料G)、これは老子の母親だとされておりますが、この女性とまったく同一であります。左右が反転はしておりますが、単に似ているという状態ではありません。 手にしたハンカチの模様までが同一です。明らかに彼ら黄氏一族共通の粉本――タネ本のようなものがあったことをうかがわせます。さらに『列仙全伝』の西王母(資料H)の両脇にいる二人の侍女ですが、大きな扇を持ったほうの侍女は聖母像の隣に、もう一人の、桃を載せたと思われるお盆を持った侍女は西霊王母像の隣に描きこまれております。この例からも、何か手本のようなものが存在したことは確実だろうと思うのです。
 以上、本当にお聞き苦しい話だったとは思いますが、ご静聴ありがとうございました。
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