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第十房第一室の案内 | |
この室は、大谷大学図書館に所蔵する正体不明の『列仙伝』(『道光列仙全伝』と略称)について、大谷大学図書館報『書香』に資料紹介として発表したものを掲載する。なお、第二室では、この『道光列仙伝』に附載される仙人の図像を一覧で紹介する。この図像は『列仙全伝』からの影響が大きく、両者を比較してご覧いただきたい。(『列仙全伝』の図像はこちら) |
資料紹介 『道光列仙伝』―図像入り仙伝集『列仙全伝』の系譜― (2006年3月 大谷大学図書館・博物館報『書香』第23号) |
中国の膨大な書籍の中には「仙伝類」というジャンルが存在する。言うまでもなくそれらの書は、道教の究極的理想像である仙人の伝記を集めたものである。(後世になると仙人になることを追い求めた道士らの伝記も加わるが)その嚆矢とされるのが、前漢の劉向が著したと伝えられる、七十余名を立伝した『列仙伝』である。しかし実際には劉向の撰であることは疑われており、魏晋時代に彼の名に託して偽撰されたものだと考えられている。更に『列仙伝』以降も『神仙伝』『続仙伝』など各時代において仙伝類は編纂され続けた。中には女性の仙人の伝記だけを集めた『■(土に庸)城集仙録』などという仙伝集まで作られるに至った。 今回紹介する大谷大学所蔵の『列仙伝』(架蔵番号外大2350)もそうした仙伝類の一種である。ただし、これは先に紹介した劉向の撰したと伝えられる『列仙伝』とはまったくの別物である。紹介の都合上、劉向の『列仙伝』とは別に、しばらく「大谷本『列仙伝』」と仮称することにする。大谷本『列仙伝』は本来四冊本であったのだが、現在は第一冊目が欠本となっている。そのため、いかなる表題が付けられていたかは明らかでなく、また各冊に内題のようなものも記されていない。ただ各葉の魚尾上方には明確に『列仙伝』と記されてあり、本学図書館の目録等でもこれをもって書名として収載されている。更に刊記等も一切無く、いつ頃制作・刊行されたものか、果たして中国から舶載されたものなのか、あるいは本邦で作られたものなのかどうかも一切明確ではない。 大谷本『列仙伝』には本家『列仙伝』とは違い、個々の伝記に絵像が附されている。絵像が附された仙伝類として第一に思い浮かぶのは、明の万暦二十八年(西暦一六〇〇年)に出版された『列仙全伝』である。ただしその絵像は両者では相当にタッチが違う。『列仙全伝』に比べ大谷本『列仙伝』の絵像は稚拙の感をまぬがれない。しかし『列仙全伝』の書誌学的研究を進めるうちに、両者には大きな系統関係が存在することが明らかになった。 大谷本『列仙伝』の伝記本文を詳細に検討すると、四庫全書本『仙佛奇踪』四巻から抜き出したものなのであることが明らかになった。それは両者に立伝されている仙人及びその順序がほとんど同一であり、大谷本では麻衣子・韓湘子・葛仙翁(葛玄)・黄野人の四人が欠落しているだけである。また個々の伝記本文の文字の異同を詳細に検討したところ、多くは魯魚の誤りであるが、更に『仙佛奇踪』の原となった道蔵本『消揺墟経』並びにその原拠である『列仙全伝』との異同にまで遡って検討したところ、大谷本の誤写の多くは、ほとんど四庫本『仙仏寺踪』に拠っているためにおこっていることが明らかになった。(その詳細については筆者の次の論文を参照のこと。大谷大學文藝學會『文藝論叢』第60号「『列仙全伝』研究(二)」76頁〜) より決定的なことが、四庫本一行の字数と大谷本一行の字数が同じ十八字であるということから明らかになった。(一葉の行数は四庫本は八行、大谷本は七行である)大谷本に収める呂純陽(呂洞賓)の五葉に及ぶ伝記に、三葉目表面の四行目から四葉目裏面の二行目までにわたって大きな錯誤が存在するのである。この部分は実は四庫本では丁度四葉目の表裏分に相当し、恐らくは一葉、二葉と書写してきて、次に三葉目を書写するはずが誤って四葉目・三葉目いう順序で書写したためにおこったものなのである。こうした誤写は、一行の字数が同一の四庫本に拠ったためにおこったと考える以外はなく、間違いなく四庫本が大谷本の粉本であると断言できる。全体の流れをもう一度確認しておくと、明代の『列仙全伝』から『消揺墟経』が抜き出され、いつの頃からかこれが『仙佛奇踪』と名を変えて四庫全書に収録され、それを粉本として大谷本『列仙伝』が作成されたのである。 とするなら『列仙全伝』と大谷本『列仙伝』に収載されている絵像にも何らかのつながりがあると考えられるが、先にも述べたように一見したところ両者はまったく別物である。ただ一連の系統にそってその絵像を分析してみると、一部の画面構成には遠い影響関係も見られる。(両者の図像学的見地からの関係については『文藝論叢』第62号「『列仙全伝』研究(三)―図像比較の見地から―」参照) 近年、中国版画研究の大家である瀧本弘之氏が、遊子館より『中国歴史人物大図典<神話・伝説編>』という大著を上梓なされた。その頁を繰っていたところ、『列仙全伝』の絵像と同時に大谷本『列仙伝』とよく似た、というよりまったく同一の絵像が目に留まった。同書の「主要資料解題」を参照したところ、これは著者家蔵の零本であると記されていた。参考までにその部分を挙げよう。
『道光列仙伝』とは、仮の題名で、家蔵の零本につけたものである。道光年間刊行の 坊刻本で、四冊。うち三冊を収蔵する。封面には「道光癸己鐫 列僊傳 在茲堂藏□」 との字が見える。『仙佛奇踪』と内容的には大同小異であるが、肖像の描き方が時代に見 合った通俗性を獲得している。線も太くなり、人物の神仙味も分かりやすいが、俗悪に 近い。以上三種類には、ほとんど同じ仙人・僧侶が登場するが、その表現は微妙に時代に よって変化している。 またその後、瀧本先生から頂いたメールによると、間違いなく「両者は同じもの」であるとのことであった。「主要資料解題」によると、瀧本氏家蔵本も四冊中三冊のみであり、メールでは「虫食いがひどい」状態だということである。しかし先生の家蔵本には大谷本にはない「道光癸己鐫 列僊傳 在茲堂藏□」という封面が存在している。ここに見える「道光癸己」とは道光十三年(西暦一八三三年)である。こうした点から考えてやはり本書の略称は『道光列仙伝』とすべきであろう。 各地の図書館などに同種の書籍が存在するかどうかに関しては、現在調査中であるが、京大人文研の全国漢籍データベースによると、東洋文庫に『在茲堂新鐫?像列仙傳』四卷 (C 洪自誠 撰 C道光十三年 刊本 在茲堂藏板 4册)という書籍が蔵されており、恐らく同種のものであろうと推測される。(筆者は未見)この東洋文庫本の書誌事項によると、著者は洪自誠とされているが、この洪自誠こそは『仙佛奇踪』の著者でもあり、また『消揺墟経』の撰者とも目されている人物である。(洪自誠と『仙佛奇踪』らとの関係については筆者の次の論文を参照されたい。『文藝論叢』第59号「『列仙全伝』研究(一)」)現在のところ、東洋文庫以外にもあるいは同種の書籍が所蔵されている可能性も否定できないが、『列仙伝』というあまりにもポピュラーな書名であるため、目録類からだけでは判別できない例も多い。 この『道光列仙伝』は、その内容に関してはさほど注目すべき点は見られないが、収載されている稚拙で「俗悪」な絵像には、図像学的見地から大いに興味が持たれる。 大谷大学教授 佐藤義寛(中国文学) |