2004年 |
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■インターネットで古本を
必要があって、神沢利子『流れのほとり』を買うことになった。
文庫本で出ているが、どうせなら土曜日文庫版を手に入れたい。そこで、日本の古本屋で探してみると、
2件見つかった。どちらも同じ価格で、3000円。スーパー源氏で調べてみると、3件ヒット。
価格は1000円前後。当然安い方を注文。
客には便利なサイトだが、古書店は、価格を較べられてしまう。法外な高価格設定だと売れないばかりか、
不勉強だと、恥をさらすことになる。逆に低価格だと、すぐ売れるだろうが、買うのは同業者だったりして、
これまた、不勉強だと、謗られる。適正価格を勉強しないと、利潤は生じず、恥だけが積み重なる。
ああ、買う方でよかった。
とはいえ、普通の商品とは異なり、古書、あるいは、古本には、店主の見識が色濃く反映する。
高価格なのは不勉強と、嘲笑するこちらが、分かってないのかもしれず、実際にはなかなか難しい。
ここで、名前をだした2つのサイトが、ますます繁盛している(らしい)のは、おおむね適正価格で、
各店それなりに潤っているからである。ごく、たまに不得手の部分が目につくのだろう。客は、
またそういうのを探すのが楽しみの一つである。ネットの掘り出し物ですね。実は、掘り出し物は結構ある。
たとえば……、というのは、また次の機会に。
■はじめての「納涼古本まつり」
毎年、目録だけもらって出かけたことのなかった京都古書研究会主催「納涼古本まつり」に出かけた。
会場は、下鴨神社糺の森である。河原町四条からバスに乗って10時30分ころ到着。
6、7人同好の士が一緒に降りる。中年か熟年ばかりで、若者はいない。
会場に入ったのは、北の入口からだった。南北にテント張りの店がならぶ。
全部で41店舗と目録の挨拶にあった。道路をはさんで東側の店を南にみていくことにして、最初は児童書。
子どもの頃から本に親しんでもらいたいと思って児童書ばかりのコーナーを作った、
関西で一度にこれだけの規模の児童書があつまるのは、珍しいと自慢げに放送で案内している。
ここは、子どもづれの若い父母や女子学生風の客でごったがえしている。
両腕に山のように抱えている人もいる。こんなところでまとめ買いをせずに、
少しずつでもふだんから買ってやればいいのにと思う。
いくら美味でも一度にたくさんの料理では、辟易する。
ほとんど新しい本なので、あとからチェックすることにして、先を急ぐ。
200円〜500円の廉価本コーナーとそれなりの価格のついたコーナーの2段構えが申し合せ事項らしく、
だいたいどこの店でも同じ構成である。戦後の本は、無視することにして、薄汚れた本をざっとながめる。
しかし、これはというモノはない。
児童書コーナーを離れると若い人と女性の姿が極端に減る。群がっているのは、オッサンとジイさんばかりである。
ときどき廉価コーナーで無理に割り込んでくるオッサンがいる。そういうオッサンは決って教員風なのである。
2時半まで昼休みも無く4時間ほど見て廻る。戦前の児童文学関係の本はほとんどない。
かろうじて講談社の絵本など。あと目についたのは、巌谷小波お伽全集の端本が数冊。
お伽全集は複刻本があるが、原本をいくぶん縮小しているので、雰囲気が若干ことなる。やはり原本が欲しい。
架蔵しているが汚損の巻が、美本で並んでいる。1冊1万円以下なら買ってもいいと
思ったのだが、ちょっと高価かなと通り過ぎる。本文が読めればいいのだし、と考えてしまうのが我ながら情けない。
結局何冊か買う。跳び上がるほど嬉しいことはないが、それほど不満でもない成果。
本日のお買上、『小波世界お伽噺7―足跡物語』(戦後生活社版の小型本)、
『続村上実演童話集』、『父乃書斎』、北田薄氷を収録しているので『近代文学研究叢書4』、
今必要としているので、ポプラ社新日本少年少女文学全集で『千葉省三』と『坪田譲治』、
単に安かったという理由で『寺村輝夫の動物アルバム全1冊』(500円でした)、
高島平三郎『精神修養逸話の泉』第2巻、持っているのが初版のため、10版(奥付表示)もでたという証拠物件
として、下位春吉『お話の仕方』、
100円コーナーでのささやかな掘出しもの『世界歴史譚第十四編―孔明』
(表紙に書かれた「孔明」の「明」は、日ではなく目)。
一冊1000円以上の〈高額〉本はなし。(2004/08/12)
■60年経っても戦後?
先日、普通にもうすぐ戦後60年かぁ、と授業でしゃべっていて、20歳前後の学生にとって「戦後」という言葉が
通じるのか不安になった。われわれの世代の父母はまだ戦争を体験していたし、軍隊経験の
ある人も身近にいた。戦争は、手の触れるところに感じられたので、戦後という言い方には、今も「親近感」がある。
しかし、今の学生にそんな身近な「感じ」があるとは思えない。
われわれにしろ、明治大正といえば、すでに歴史であって、それなりのイメージは持つが、近しい感じはない。
おそらく今の学生の「戦後」に対する感覚も、すでに歴史として自分とは隔絶した「感じ」しかもてないのだろう。
「戦後」という言葉の扱いに注意しなければ、学生にこちらの言葉を皮膚感覚で届けることはできないなぁ、と
「トビウオのぼうやはびょうきです」(いぬいとみこ)を読みながらため息をつく。(2004/07/07)
■2004年も半分過ぎようとしています
ずいぶんながく手付かずのままだったHPの手入れを開始しました。
たぶん数人もみないこのサイトのなかでも、このページは、さらに選ばれた少数の人しかみないと思うので、
張り切って多く書くようにします。(2004/06/07)