2003年 |
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ピーターラビットのお父さんはパイになって食べられた
へえ、とテレビのバラエティ番組「トリビアの泉」で放送していた。
絵本に関心のある人なら、ピーターラビットは必読書のようなものだから、最初に語られるこのエピソードをしらないはずはない。
この調子なら白雪姫が逃げ込んだ小人の家には、白雪姫より大きな小人も住んでいたというのも、へえ、なのだろう。
ひとつの世界に馴染んでしまうと、世間ではへえ、ということも当たり前のように思ってしまうもんだと、大いに反省。
ひょっとすると、アニメ「落第忍者乱太郎」をビデオにとりだめしているオジサンというのも、へえ、なのかなあ。
それとも、……(2003/12/12)
パソコンを買いました
パソコンを買った。学校では、ワードとかエクセルとかがふつうなので、家でもそれらが使えるようにというのが理由である。
近所の電気屋さんで、安いのがあったのでほとんど衝動買いだったが、十分だろう。だろう、というのは、ソフトをまだ購入していないからである。
ロータスのワープロや表計算がオマケについていたが、機嫌よくうごいたから、マクロソフトも大丈夫と思われる。
今は昔、pc8001というNECのパソコンを32KBのメモリで動かしていた。コンピュータ本体よりフロッピイドライブの方が高価だった時代である。
それでもそこそこの成績処理をやっていた。pc8001が自転車なら、今度買ったパソコンは、宇宙を翔るエンタープライズ号いや、アンドロメダである(わからない人にはゴメン)。
他人に見せる文書ならたとえばワードが必要かもしれないが、メモから下書きまでなら、断然DOSの方が便利だ、というのは前に書いた。
あのパソコン初期の時代には、メモリの1バイトも大切に知恵と工夫を凝らしたものだ。それにくらべると、今はどうだ。足りないものがあれば買えばよいと思っている。
ああ、豊かさと堕落とは反比例する。と書いてきて、このいいぐさは、戦後の欠乏生活を強いられた世代が、高度成長期になってつぶやいていたセリフと同じなのに気づいた。
いまの豊かな時代に育った人々も将来、似たようなことを口にすることはあるのだろうか。
それとも、食料不足の時代に突入し、ああ昔は、残飯という今では死語になったことばもあり、食べ残すという贅沢な行為もあったのだとつぶやくことになるのだろうか。
(2003/07/25)
車は動くこと
大衆車に10年近く乗っている。免許がないので、助手席に乗っている。そろそろ買い換えたいと家人がいう。今度は、アレがいいとか、コレにしようかと、TVで車のCMが流れるとうるさい。こちらは、助手席を暖めるだけなので、動けば、なんだっていいのだと思うが、ハンドルを握る立場には、別の考えがあるらしい。
いつだったか、若い人が分不相応な車に乗るのは、家が持てない補償行為として、車を家のように扱うのだという説を聞いたことがある。確かに、500万円では家は買えないが、高級車は買える。説の妥当性はともかく、乗用車に過剰にお金をかける人は多い。しかし、乗用車は、足の機能を補足するものだから安全に動けばいいのである。時速100キロも出なくて十分なのである。動かなくなるまで、乗り続けるのが、普通だろう。普通、壊れてもいないイスを、もう10年になるからといって買いかえたりしない。ところが、車は、買い換えたくなるらしい。
とはいえこんな〈合理的〉な考えでは、自動車産業はあっというまにダメになり、大量の失業者が出て、日本経済は大打撃をうけ、破滅する。やはり買い換えなければならないのか。こんなのを必要悪というのかしらん。(2003/07/10)
車中の朗読
電車の中で音楽を聞く(聴くとは思えない)ときは、音漏れしないようにするのが、健康上のルールである。外に聞こえるほどの音量だと、聴力に悪影響がでるからである。その証拠に、人の意見の聴けない若者は増加の一方である。
シャカシャカ音はお馴染みの音漏れであるが、過日朝の満員電車で朗読にはじめて遭遇した。「本を読む女」という題名の外国小説があったなと、ふと思いながら、声の主を探すと、私服の女子高生である。否応なく「ヨカワノソウヅ」「オコリ」とかの単語が耳に飛込んでくる。どうも源氏物語らしい。古典は音読することと、高校では教えているから、女子高生は、先生の教えを守っている優等生なのだろう。第一朝の通学電車内でも勉強するほどなのである。だが、迷惑なのは、シャカシャカ音と同じである。いや、それ以上の音害である。こういう「優等生」が、世の中には多いのだろうか。(2003/07/01)
DOSは便利
前回のDOSの続き。Windowsは便利である。画像処理やDTPめいたものもあり、ソフトも高機能である。しかし、あのマウスが使い辛い。せっかちにはいらいらの種である。
DOSの頃には、エディタで文章をかいてワープロで印刷するというのが流行った。たとえるならWindowsは重装備のワープロみたいなものだ。主にテキストを書き、
たまに資料の整理にデータベースを使うという程度の者には高機能過ぎる。なによりawkやperlが使いにくい(といってもperlが必要になるようなことはほとんどなく、awkで十分なのだが。)
Windowsは、いったん機嫌を損ねると、なすすべもなくリセットボタンを押すことが多い。そうやってご機嫌がなおればめでたしだが、 時に再インストールというはめになることがある。これがもつらい。
今まで3度インストール仕直したこともあって、ますますDOSから卒業できないでいる。しかし、それで不自由はないから面白い。
WindowsにはWindowsのよさがある。おなじように、DOSにはDOSのよさがある。シンプルなものほど使いやすい。文房具としてのパソコンにDOSは必須である。(2003/06/06)
自転車後輪交換
愛用の自転車が壊れた。10年以上乗り続けてきたので捨てるに忍びない。といって、修理に出しても簡単にもとどおりになるとは思えない。
なにせ走っていて、ベアリングが落ちたのである。ギギギと悲鳴が(もちろん自転車の)あがり、ガクガクンとペダルを踏む足に衝撃がはしったのである。
無理すれば乗れなくもないが、そこまで酷使するのは、安全のためにもよろしくない。未練を断ち切りました。というのは嘘で、せめては、使えるところは使ってやろうと、以前家人が1台買ったままでほとんど乗っていない自転車の部品と交換することに。特に内装変速器は、生かしたい。そのためには、後輪をごっそりとりかえる必要がある。作業は別に難しくはなさそうだが、工具がないので近所のホームセンターへ工具を買いにいく。見通しは多少甘かったけれども、このあとの紆余曲折は省略。結局、後輪は目出度く移植でき、ベル、サドルも取り替えて、今は、元気良く動いている。(
古いのを使っているのは、実は、自転車だけではない。パソコンもDOSなのである。WindowsXpの次のOSが話題になろうかという今どき、DOSである。この話題はいずれまた。(2003/05/31)
新古書店
近所に新古書店が本日開店した。新聞のチラシがはいっていたのでわかったのである。全国展開する大手、といえばブックオフが有名だが、ほかにもいろいろあるらしい。オープンしたのは、いろいろなうちのひとつである。早速10年も乗りつづけている自転車で出かける。かなりガタがきているものの、愛着があって買い替えられないでいるのである。
店の用意した駐輪場は、すでにいっぱい。開店して10分経過している。かろうじて隙間をみつける。自転車を置いてさっそく店内へ。ゲーム、CD、ビデオが並ぶ棚を素通りして、子どもの本のコーナーへ。おまけのようなコーナーである。
場所の都合もあって、必要があるまでは子どもの本は買わないのを原則にしているため、さあ読まねばならぬという時には、すでに店頭にない。版元にもない。普通の古本屋に子どもの本はほとんどおいていない。そんな時、頼れるのは新古書店である。子ども服や玩具まであつかっているようなところは、子どもの本も多い.おまけに価格も安い。ありがたいのである。しかし、この店はスーパーのそばにあるにもかかわらず期待はずれ。
せっかく来たのだから何か、買わねばならない。買わないほうがいいに決まっているが、それでは何のためにここにいるのかわからない。文庫の100円均一棚をながめていると、岩波文庫の関敬吾編「日本のむかし話」全3冊が目に入った。むろん持ってはいるが、自宅にも欲しい。他に講談社学術文庫『神さまはサイコロ遊びをしたか』(小山慶太)も買って、この日の無駄遣い(?)は420円。(2004/04/26)
雪
大学の2号館地下の学生用一般研究室には、窓がある。2号館は、巨大な穴の中に、
すっぽり入るように建ててある。窓と穴の壁とのあいだに2メートル程の空間があり、
光りが入る。風も吹く。新年度がはじまって研究室からぼんやり外をみていると雪が舞った。
桜である。窓枠からは穴の壁しかみえないから雪のように思えたのである。古人が桜を雪とみ
る気持ちは、たんなる形式的美意識ではなく、少なくとも最初は実感にもとづいていたことが
わかった。話はとぶが、竹久夢二のなよなよした女性も、モデルをみると、あの絵のとおりなのでびっくりしたことがある。なんとなくフィクションと思っていることも、事実に基づいていることがあるのだ。
しかし、逆の場合もある。たとえば、TVのイラク戦争報道は、事実に基づいているはずだが、フィクションのような気がした。(2003.4.10)