座 長  鈴木正崇(東京都)



パネリスト1 小嶋博巳(岡山県)

めぐりの聖化―巡礼と仏教・民俗―

 日本で巡礼と呼ばれてきたものの多くは、仏寺・仏堂を中心に諸聖地を仏式の礼拝方法をもってめぐるもので、巡礼とは仏教的伝統に属す儀礼行動であると理解されている。歴史的にも、その原形は古代の修行僧たちの頭陀(抖擻)にあり、彼らの修行のルートのあるものが踏襲され規範化して三十三カ所巡礼や四国遍路が成立し、やがて中世後期から近世にかけて民衆化していったとみるのが通説である。民衆化した巡礼は、さまざまな回路を通じて生活のなかに根を下ろしていった。巡礼の旅は、祈願の手段として、死者供養の方法として、成年儀礼として、物見遊山・観光として、そして社会的弱者の共同体からの脱落の道筋として、定着した。また、村落社会は巡礼者応接の習俗を生み、著名な巡礼地に倣った小巡礼地が膨大な数で各地に出現した。こうしたありようを、巡礼という仏教的儀礼の民俗化、つまり「仏教の民俗化」と呼ぶことは不可能ではない。
 他方、日本の巡礼文化を、非仏教的な土着の伝統に根ざす行動様式や信仰が仏教化した結果とする捉え方もありうる。あえていえば「民俗の仏教化」である(ただし、この場合の「民俗」が「仏教の民俗化」というときのそれとは少々異なる意味となることには注意しておきたい)。柳田国男は、巡礼が本質的に物乞いをともなうことに着目し、そこに共食による合力の呪法をみた。折口信夫は春の行事として「女の旅」の伝統があったとし、武田明らも巡礼と山遊び習俗との連続を推測している。五来重をはじめ、巡礼地の立地が山中他界観や海上他界観に規定されているとみる見解も少なくない。つけ加えるならば、「めぐる」という行動様式についても、シママワリ・シマメグリのような習俗(ひとつの空間を巡歴・踏破したいという希求にもとづく行動様式)との関連が想定されてよいと考える。仏教の外皮を剥いだところに固有信仰があるという単純化は危険だとしても、日本の巡礼文化が、その重要な部分に仏教に由来しない多くの要素を抱え込んでいることは否定できない(それは日本の仏教文化そのもののありようでもある)。
 仏教と民俗という磁場のなかで巡礼文化がどのように形成されてきたのか、検討してみたい。

パネリスト2 小栗栖健治(兵庫県)

地獄絵に描かれた仏教習俗―供養と救済の変遷―

現代生活の源流を考える上において、仏教の存在はとりわけ大きい。仏教がわが国の文化と交流し、新たな日本文化の形成に貢献したことは周知のことである。民俗学においては、仏教との交流の中で仏教伝来以前の宗教や儀礼が仏教習俗のなかに温存されたとされる。換言すれば、習俗の表面は仏教的であるが、内面には固有の民俗信仰が含み込まれているということである。しかし、そうした固有の信仰も、仏教という外的な影響によって内的変化を遂げていると考えられる。つまり、民俗とは常に一定の形で存在し続けているのではなく、時代とともに、社会とともに絶えず変容しながら継承されてきた。
ここでは、仏教と民俗信仰の交流を考えるひとつの視点として、地獄絵に描かれた仏教習俗を取り上げ、その変容と多様化について報告してみたいと思う。
先祖あるいは死者に対する供養と救済は、仏教の伝来によって古墳から寺院へという大きな影響を受けた。また、10世紀の源信による『往生要集』の撰述、その後における『十王経』ならびに『地蔵十王経』の流布と十三仏信仰の展開は、供養と救済の多様化をもたらした。それまで行われていなかった理念と儀礼が習俗の中に付加され、社会構造の変化とともに増幅し、浸透していったのである。
現代社会に継承されている供養と救済の形式は、江戸時代に確立した、家を基準とする寺請制度により普遍化したと考えられる。仏教が伝来した6世紀中期からすると1000年以上の時を経て、ようやく本格的な国民仏教の時代を迎えたのである。勿論、そこにはいくつかの画期があったと考えなければならない。中世に制作された大幅の地獄絵を中心に、現在の社会に継承されている供養と救済の仏教習俗が形成される画期について検討を加えてみたいと思う。

パネリスト3 坂本 要(神奈川県)

念仏踊りから見る仏教民俗

五来重氏の論考に「踊り念仏から念仏踊りへ」(『国語と国文学』1965・9)がある。踊り念仏は僧の踊る念仏で空也や一遍の踊りをともなう念仏を指す。念仏踊りはそれが民間習俗に習合し、風流踊りや盆踊りの中で念仏をともなう踊りをいう。「念仏」に力点を置いたものが「踊り念仏」で、「踊り」に力点を置いたのが「念仏踊り」である。前者の「踊り念仏」がさまざまな民俗要素を取り入れながら後者の「念仏踊り」を生成する。その基底には鎮魂という呪術的要素があるとする論である。
今回のシンポジウムは「仏教と民俗」というテーマで設定されているが、これにあわせると念仏は仏教、踊りは民俗となる。仏教儀礼の念仏には行道まではあっても、踊りまではない。踊り念仏・念仏踊り論は何故に念仏に踊りが伴うようになったかが問題になる。その前提に普通仏教ではというより僧は座して禅定に入るもので歓喜踊躍して踊るものではないとされるからである。それゆえに踊る意味を鎮魂、鎮送、反閇等の仏教教理以外の民俗的観念の中に見出し、巫女舞や神楽の魂振りや魂遊びに淵源する。これが折口信夫・堀一郎・五来重等につながる一連の説である。仏教の教えでは「死者の供養」「仏の功徳」のために踊るとされているが、上記のような隠された意味があり、その隠された意味を演じる念仏聖等の一群の「民間宗教者」がいたとするのが民俗学からの見方である。このように仏教と民俗を分けて、民俗から仏教を見るというのが仏教民俗の立場で、仏教民俗の必要性はこのような解釈の可能性にかかっていると言えよう。
しかし、念仏でなぜ踊るのかには、以下のような解答も可能である。念仏とは元来仏を頭の中に念じて描くことで、これを観想念仏という。ところが念仏が中国・日本と伝播する過程で阿弥陀仏の名を念ずる名号信仰、さらにそれを口で唱える口称念仏、名号を多く唱える多念の念仏、大声で唱える高唱念仏、そして念仏で踊るという念仏の肉声化、身体化を深めていく。念仏の中に自己を解消するような念仏が成立する。一遍の念仏がそうである。教理や観念の文字の仏教は踊りという身体化された仏教の中で信仰を顕現する。念仏踊りの本義はここにある。仏教をこのように儀礼行為や身体から解釈していくことも可能である。民俗を非文字文化とか口承・身体伝承の文化と規定するならば、仏教における非文字・口承・身体伝承の仏教を解明するのが仏教民俗といえよう。そこでは仏教と民俗は分けることはできないように思える。詳しくは発表で。

基調講演 豊島 修(大阪府・大谷大学)

仏教と民俗の交渉

 外来宗教(文化)としての仏教の特色は、長い年月を経て日本人の精神生活に定着・浸透し、基層文化に根をおろしている点にある。そうした基層文化の成立と展開、変容の問題のみならず、仏教と民俗(伝承)の関係性をしめす実相論、展開論、構造論などの課題を日本民俗学の重要問題として提起することに、どのような意味があるのか、と問われるかも知れない。しかし、すでに柳田國男氏の初期の民俗学研究に、仏教民俗資料に分類される聖宗教者・巫女・シャーマンに関心をおいた研究成果があり、そこから山岳や海洋に起源を求める修験道や念仏信仰の歴史や、それに関わった修験・聖(ヒジリ)宗教者一般の論考が生産されてきたことである。さらに仏教と民俗の交渉に視点をおくと、早くに五来重氏が仏教民俗資料を10項目に分類し、仏教民俗学の目的を常民の仏教受容の方式や受容された仏教信仰の内容と特色、仏教的社会(講)の構造などを明確にして、常民の生活面と信仰面を考察しようとした。その前提に「外来の仏教が固有の基層文化と接触して文化変容をとげるところに、その民族の文化創造力」があると指摘し、仏教民俗に「その民族の文化特質を見ようとする」立場を標榜したが(五来重「仏教と民俗」『日本民俗学大系』8所収)、この場合「民族の文化創造力」や「文化特質」の問題に、民俗学はこれまでどのように答えてきたのかという疑問がある。ここでいう「固有の基層文化」の「固有」が何を指すのかは問題であるが、これを一般的にいわれる「原初的形態」と理解すれば、「土着主義的宗教(仏教)」(「日本的仏教」、坂本要「日本的仏教と仏教民俗」『歴史手帖』14-10所収)と把握できるかも知れない。それはまた、藤井正雄氏らの研究に説かれる「日本的仏教」の民俗化、あるいは「民俗の仏教化」という課題(藤井正雄「比較仏教民俗学覚え書き―仏教の民俗化と民俗の仏教化をめぐって―」『仏教民俗学大系』1、「仏教民俗学の諸問題」所収)に関わる問題である。
 ともあれ「民族の文化創造力」を問うことや、「その民族の文化特質」を民俗学・歴史民俗学的に把握・検討することは、今日でも重要な課題であると思われるが、いずれも十分な成果がでていない(前掲、坂本論文その他)。そこで先学の研究成果を踏まえながら、仏教と民俗の実相把握に帰すること、そこから両者の関係性を問わなければならない。この問題はすでに6月のプレシンポジウムにおいて、仏教と民俗の実相把握のキーワードを設定して、その関係性を述べられたが、ここでは時間の都合上、仏教と民俗の交渉の素材を「修験道」に求めて、若干考えることにしたい。

▼パネリスト

▼コメンテータ
▼座 長

鈴木 正崇(東京)

西海 賢二(神奈川)・上別府 茂(滋賀)

小栗栖 健治(兵庫)・小嶋 博巳(岡山)・坂本 要(神奈川)

豊島 修(大阪)

▼基調講演

公開シンポジウム

●テーマ
「仏教と民俗」


●日 程
2007106日(土) 13:30~16:40

●場 所
大谷大学 講堂 (京都府京都市北区小山上総町

●趣 旨
6月に行われるプレ・シンポジウムでの内容―「仏教と民俗―実態へのアプローチ―」―を踏まえ、「民俗」の中の「仏教」、あるいは「仏教」の中の「民俗」という交渉の実態への視野を持ちながら、「仏教」と「民俗」を結ぶキーワードを設定して議論する。そのキーワードから見出される「仏教」と「民俗」の関係性について、諸事例から共通性・相違性を見出し、検討を加えたい。近年「仏教」と「民俗」の関係性が曖昧となっている。この曖昧な研究状況への提言という意味でも「仏教に関する研究と民俗」をテーマとして取上げ、再検討することは、「仏教」と「民俗」の現在的な意義への言及、さらには民俗学研究への問いかけになると考える。

ディスカッション
    
  コメント1   西海賢二(神奈川県)
  
  コメント2   上別府茂(滋賀県)

公開シンポジウム要旨